3年ブログ

2016年8月に始まり、残り1年を切りました。振り返ったとき、このブログが転機になったと言えるように。そう願っています。

もう僕は会社員に向いていないのかもしれない

今日は会社の飲み会があった。その話を書こうと思う。

そう書いたら社内の人にバレるのかもしれないけれど、そんなのどうでもいいくらいに疲れてしまった。

ゆるくなったネクタイを急につかんできて、いきなりギュッと締められたり。その場にいない人に対して、「あいつは辞めさせたい」といった悪口が聞こえたり。

このような出来事が、もし会社という組織にはよくあることだとしたら...僕はもう会社員としてはやっていけない。あらゆる会社という組織が決まってそうだとは、本当は思っていないけれど、辞めたければすぐ辞められるほどのメンタルもないし、転職の味方となるスキルも持ち合わせていない。

「まだ若いから大丈夫だ」なんて言葉を、26歳の僕に言ってくれる人たちが何人かいるが、そんなのデタラメだと思ってる。人が自身の過去を思い出し、「あの頃ならまだいろんな道が開けていたのにな」とする悲しみのコメント。そんなふうにしか聞こえてこない(言ってくれようとした方々ごめんなさいね)

 

アルバイトでも生きていける。けれどそれはあくまで「そのときは」であって、安定性は会社員とは比較にならない。

物価が安い国に移住する。けれどそんなことができるのは、すでに何かを持っている人だけ。親の反対を引きちぎり、周囲の人々に今後どうしようと考えているのか伝えられるわけがない。

この現実から逃げることしか考えていない自分が、こうしてディスプレイに文字として映し出されるのを見ていると、もうホントに情けなく思えてくる。情けないと思ったまま、キーボードを打つ手が止まった指先をながめる。なにもない。自分には、他者にアピールできそうな素質が見当たらず、履歴書にかけるスキルもなく、頑張ろうと意気込むバイタリティもない。

 

そんな今の自分の中にも唯一存在しているのは、写真を撮りたい、我慢しないで生きていたい、やさしい風が吹く緑の多い街にすみたい、という感情。

それらにくわえ、自分が一人の人間としてこの世に生きている事実、この世に生まれてよかったと感じる心、この世で生きていきたいと願う想い。それらを受け止められるような、心の余裕がほしい。

今日は、会社の飲み会でたいへん嫌な時間をすごしてしまった。これから忘年会のシーズンになるが、そうし飲み会には今後いっさい参加したくない。

あのような、人のあり方として完全に逸脱している者と一緒にいることが我慢できないし、いきなり首元のネクタイいじってくるような、心に土足で踏み入ってくる人と接するのもイヤだからだ。

でも、こうして「イヤだイヤだ」と言っているようじゃ生きていけないんだ、なんて瞬時に思ってしまう。即座に思い直してしまう点が、きっと自分はあまりにも視野の狭い人間なんだと思わせてくる。

いや、むしろ「視野の狭い人間」であるだけなら、まだ生きていけるのかもしれないが。