3年ブログ

適応障害と診断された2016年8月スタート。3年間は書き続けようと決め、現在7年目になりました。

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もし今日が人生最後の日だとしたら、を考えた

カフェで書き出したときの写真

 

今日が人生最後の日だと思って生きなさい』という本を読んでいます。

写真は、カフェでこの本を読んでいたときの写真。

冒頭のページで、こう書かれていました。

 

まず初めに、お訊きします。

もし今日が人生最後の日だとしたら、あなたはどう生きたいですか?

 

-中略-

 

どのような答えであろうと、あなたが選んだものが、あなたにとっての正解であり、あなたにとって「本当に大切なこと」です。

 

そこだけ読んで本を閉じ、考えました。

書き出したメモを、ここに書き写しておこうと思います。

 

もし今日が人生最後の日だとしたら

今の自分は、こうしたい。

 

喫茶店に行き、1階の窓際の席にすわって外を眺める。いろんな人を見て、自分と重ねたり、関わってくれた人を思い出したりする。

 

実際に会える人は限られている。離れて暮らす人には手紙かメールを。

多くはメールかLINEで良いが、中でもこの人には、という人へは手紙を書きたい。そして余裕があれば、家族へも。

 

夕方は、今好きな人にお願いして1時間だけでも良いから一緒に食事をしたい。

今日が人生最後だと確定していて、それを他人へ言っても良く、さらに同意が得られるのなら、肌と肌でふれあいたい。

思っていることや、まだ鳴り続ける心臓の音を、その人と共有したい。

 

夜は、1人で海へ行きたい。

潮の香り、夜空の星々に囲まれて。波打つ音を聞いていたい。

 

そのとき持ち物は持っていない。普段どおりの服装だ。

腕時計をし、お気に入りの革靴を履いて。青いジーンズに薄いグレーのポロシャツ。

 

人の気配のない海岸で、スマホの電源も切って、1人、心臓が止まるのを待つ。

時間が気になるなら、つけていた腕時計は海へ投げ捨てるだろう。足が重いなら、革靴も脱ぎ捨てる。

 

死ぬ前にやっておくことは、心にとどめている未配達の感情を、届け先である誰かのもとへ送り届けることだ。それ以外にはないと思う。

 

部屋に残された本やPC、カメラなどは処分あるいは売却される。

それでいい。物なんてしょせん、あの世には持っていけない。死ぬ間際まで触れていたい物はない。

 

死を待つとき、きっと寝ころがるに違いない。大の字になって、星を眺める。

 

そうだ、それで寝てしまおう。

寝てしまえば、もう目覚めることはないのだから。

意識が遠くなったときに眠り、それが死に直結することを祈る。日付が変わるまで眠り続ければいい。

日付が変わる1分前とかに起きてしまわないよう睡眠薬がほしいところだけど……処方してもらう時間はないだろう。

 

あるいは、そもそも眠れないかもしれない。

そんなに人生やりきったといえるほど、満ち足りた日々は送っていないことに、仰向けに寝そべったときに気づくだろう。

そしてこう考える。

この人生、何があったか。

 

しょせん海岸沿いの砂粒の一つでしかない命だが、そんな命が宿っていた自分は、自らの命をどう使ったかと考えるだろう。

その、そろそろ燃え尽きそうな命が、まだいつまでも続くかのように感じられるほど、強い光を放っていたときのことを思い出すだろう。

 

人に与えた影響。伝えたことで、その人の中で何かが芽吹いたり、あるいは捨て去ることに寄与したこともあったかもしれない。

でも多いのは、圧倒的に、したことよりもしてもらったことだろう。

 

日々、いろんな人に助けられたし、救われてきた。

その日の午前中に喫茶店で思ったことをここで再び思い出す。今一度振り返って、目の前の、されど何億光年も離れた星々に感謝すると思う。

 

そうこうしているうちに、秒針が0時を指すだろう。そして死ぬ。

もし今日が人生最後の日だったら、そのようにして終わりたい。

 

 

さいごに

書き出してみて、自分の現在地がわかったような気がしました。

大切にしていることの優先順位や、大切だと思いこんでいたものが実はそうでもなく、ちっぽけなことだったことに気がついたりとか。

 

一昨年、心理学を学んでいたとき、先生に言われたことがあります。

 

「死ぬ直前ならできることを、なぜいまやらないんでしょう?」

 

聞いたときは痛いところを突かれた気がしてウゥッて感じました。

いまは半分程度はできていると思いたいです。

 

 

 

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