3年ブログ

適応障害と診断された2016年8月スタート。3年間は書き続けようと決め、現在7年目になりました。

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え、それ人生じゃん。 と思ってしまった話。

とあるゲームが、人生そのものを語っているように感じた話。

 

それは『 The Witness 』というゲームのレビュー記事に書かれていた。

それはパズルゲームなんだけど、言葉による説明が一切なく、パズルを解くルールすら自分で見つけないといけず、ストーリーらしいものもないのだとか。

 

プレイヤーはよくわからないながら始めるのだが、少しずつ、なにかを言いたそうにしている世界観を感じ、やり始めるとトリコになるのだと思う。

レビュー記事を読むと、非常に哲学的な内容だと思える。

 

で、なにが「それ人生じゃん」なのかというと、そのゲームの説明文だ。

 

“自分が誰なのか、どうしてここにいるのかも分からないまま、あなたは探検を始めます。謎解きの手掛かりを見つけ、記憶を呼び起こし、無事に家に帰れることを願いながら――”

レビュー記事より

 

ゲームをやってないからなんともいえないけど、これを読んでぱっと思ったのが先の感想。

 

そもそも、自分が誰なのか、ほんとうの意味では僕たちは知らない。

名前があるけど、それは親がつけたもの。社会生活を送るうえで必要だから、便宜上用意したラベル。

どうしてここにいるのかもわからない。どうしてあの年に生まれ、あの出身地で育ち、いまも生きているのか。

 

「人生は一度切りだから、たのしもう」。先輩がそう言っていたのを思い出す。

「せっかく生きているんだから、たのしまなきゃ」。昨年だれかにそう言われた気もする。

 

がん患者とその家族を診てきた清水研さんの著書『もしも一年後、この世にいないとしたら。』には、こうしたテーマについて書かれている。

僕もよくブログを書いていて思い出す本の1冊だ。また読み直そうと思う。

『僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。 生きるためなんだ。』

第3章 人は死の直前になって、心のままに生きていないことに気づく

 

 

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