3年ブログ

適応障害と診断された2016年8月スタート。3年間は書き続けようと決め、現在7年目になりました。

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わからないことは、わからないまま受け入れる

わからないものを、理解しようとするのは良いことだと思います。けれど、わからないまま取り入れるのも大事だなと感じました。

 

今日の朝日新聞を読みました。手足に障害があった女性が、14歳のときに子宮を摘出する手術を受けたという内容。

生理が始まっても自分で身体の面倒をみることもできず苦労していたところ、子宮を摘出すれば生理が止まると聞いた。子供がつくれなくなってしまったことに手術のあとで気がついた……そういうインタビュー記事でした。

 

読んだあと、いろんなことを感じ考えました。怒り、悲しみ、幸せ、存在……感想を求められても困ってしまうような状態です。

 

普段の生活のなかで、「こうあれば幸せになれる」だとか「自分の幸せはこういう基準です」という話を耳にします。本のなかで、人の話のなかで。僕もこのブログにそういうことも書くし、登録しているブログでもそんな記事があると読んでいます。

 

けれど、この世の中には酷いほどいろんな事柄があって、いろんな人がいて。

そういうことを思ったとき、見たくないようにしていた現実を見てしまったというか、そもそも知らなかったダークな世界に触れてしまったというか……でも事実は認めなきゃいけないし、という、なんともまとまりのない感情をいま抱いております。

 

しかしながら、ここで思うのは、

なんでも理解する必要はないのではないか、ということ。

 

キャリアコンサルタントの勉強をの過程で、ロールプレイングをやります。

勉強している人どうしだったり、資格に合格した先輩に相手をしていただいたりして、20分ほど仕事の悩み相談にのるのです。

 

そのときに大事なのは、いかに自分のレッテルを貼らずに相手をそのまま受け入れられるか、ということ。すなわち傾聴ですね。

コンサルタント側も人間なので、価値観をもっているし、意見ももっています。けれどそれは相手を肯定的に受け入れる際にはジャマになります。

 

お坊さんが著者の『傾聴のコツ』という本には「他者を徹底的に肯定し、自分を徹底的に否定する。それが傾聴だ」とありました。

 

人の話を聴くとき、理解しようと努めることは言うまでもなく大切です。ただ、それを自分ごととして取り込む必要はないんですね。

それは人の話を聴くときに限らず、世の中で起きていること全般にも当てはまることだと思いました。

 

わからないことを無理に理解する必要はなく、複雑でなんとも言い難い存在をそのまま受け入れる。この態度は、わからんからいいやってポイするのとは真逆です。

放り投げるのではなく、認めて受け入れる。それにはなにか意味や価値があるのかといえばわかりませんが、少なくとも社会と向き合って生きていく1つの姿勢だろうとは思いました。

 

 

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