3年ブログ

適応障害と診断された2016年8月スタート。3年間は書き続けようと決め、現在7年目になりました。

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日記:献血と、「社会」という言葉が嫌いな話

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先日、献血に行きました。

 

本番の前に血液の検査をするのですが、いままでは本番とは逆の腕で採血してもらっていました。

それが今回、方式が変わったようです。

指先に小さな針を刺して、ちょこっとだけ血を採取。それを数秒で検査して終わりでした。

 

「問題ないですね。また番号を呼びますので、それまで飲み物を飲んでお待ちください」

 

へぇ、かんたんになったんだね、って思ったのですが、この指先に小さな針を刺すというのが地味に痛かった……。

バチンという衝撃があり、それはまるで触るとビビッと電気がながれるアレみたいで。左手の薬指の腹が、その後6時間くらいたつまでヒリヒリしてました。

検査は簡易になったけど、これは好き嫌い分かれる気がする……(^^;)。

 

そのあとは特に問題もなく献血が終わりまして、ついさっき血液の検査結果がメールで送られてきました。

この結果を見るのがおもしろいです。

〇〇の値が正常な範囲にあるかどうかとか、前回と比べてどうだったとか。書いてあることはぜんぜんわからないんですが、へぇって感じで眺めてます。

 

その血がどんなふうに役に立っているか。献血を受けた人と、血を提供した人によるインタビューを、家に帰ったあと読みました。

立派な社会貢献だ、といったことが書かれていました。

 

僕は、たしかに社会貢献だとは感じているのですが、なんとなく社会貢献という言葉、特に「社会」という単語が好きではありません。

なぜなら、全体的にボヤッとした言葉だからです。いったい誰のことなのか、いったい何のことなのか。便利すぎる言葉な気がしています。

 

僕は身近な一つ一つに対して、または目の前の一人ひとりに対して、真摯に向き合いたいと思っています。

そういう価値観なので、そうすると「社会」という言葉はとても遠いように感じ、それはいったいどこの誰のことなのよ?と思ってしまう。

別にイヤな気分にまではなりませんが、うまくいえないモヤッとした気持ちがうっすら残ります。

 

ただ、そうやって献血を受けた人のインタビュー記事なんかを読むと、こういう人のために役に立つんだなって素直に理解できました。

 

これまで、僕は差し出しても特に問題ないもので、でも一方でそれを誰かが猛烈に欲しがっているならあげたらいいんじゃないの?という気持ちで献血をしていました。

もちろんこれまでの間にも、誰かの役に立っているという気持ちはありましたけれど、具体的に向こう側の人の話を聞いたり、姿の写真をみて想像を膨らませたのははじめてかもしれない。

 

テレワークが普及したことで、会社に献血バスが来てくれて献血する、という機会もグッと減り、困っているという話も聞きました。

次回は夏になる予定です。また献血してきます。

 

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