3年ブログ

適応障害と診断された2016年8月スタート。3年間は書き続けようと決め、現在6年目になりました。

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最後は「自分がどう感じるのか」それしかない

ZOOMで知り合いの方とおしゃべりしました。

ネットで知り合った35歳の方で、僕と同じく適応障害で休職経験がある男性の方です。

話した内容を、ザックリですが書き出しました。

 

 

意味のあることを重ねて生きていく

挫折し、人生について疑問をもった人のほうが、総じて豊かな人生を送れると思う。

死ぬとき「自分は何してきたんだろう」って疑問に感じながら、後悔しながらあの世へ行く人たちも多いと聞く。

そうした人たちは、人生のどの点においても人生について疑問を抱かなかったのだろうか……ひょっとしたら、疑問をいだいたのに無視してしまったんじゃないか。

僕たち2人は、すくなくとも人生の比較的早い段階で「これでいいんだろうか」「生きている意味ってなんだろうか」と考えるようになった。

それはとても良いことに違いない。間違いないんだ。なぜなら、そう思えたことで自分の人生を真剣に考えはじめたのだから。

何も気づかず、気づくタイミングがあったのに無視してしまうこと。それがもっとも避けたい失敗だと思う。

自分がどう感じるのか。そのサインを見逃さないこと。そのサインは自分だけのもので、他人は関係ない。他人は他人の人生に責任をとらない。

人生っていうのはけっきょくのところ、「自分がどう感じるのか」が一番大事。

 

「ガマンは美徳」の時代は終わってる

昔はそれで良かったのかもしれない。時代というふうに囲ってしまうのはイケナイのだろうけれど、僕たち2人は働いて体調を崩している。ガマンしたからだ。

体調を崩すと仕事に行けず、病気の治療にお金がかかる。ガマンして得たお金を、ガマンして損なった健康を取り戻すために使う。それはまったくバカげている。

たしかにお金は大切だ。この資本主義社会に生きているかぎり、そこからは逃れられない。けれど、死ぬときに「僕の人生ってなんだったんだろう」ってなりたくない。

お金があればたいてい何とでもなる、なんていう。だが本当か?

だって、お金って「僕の人生ってなんだったんだろう」という疑問に答えを与えてはくれないじゃないか。お金をガッポリ稼ぐことが人生の楽しみになる人を除いては、だけど。

ガマンしてダメージを受けたって、誰も責任をとってくれないし、誰も痛みを肩代わりしてもくれない。

けっきょく、最後は「自分がどう感じるのか」。これにつきる。

 

総取りはできない

お金も家族も仕事も……ということはできない。ぜんぶぜんぶ欲しい、というのは難しいと思う。

それは、なにもどれか諦めろ、ということじゃない。自分にとって何がどれだけ大事なのかを知ること。それを知れば、なにもかもすべて欲しい、とはならないんじゃないか?

もしすべて欲しいと思えてしまうのなら、きっと自分軸ではなくて他人軸で考えているからだ。世間にとって、親にとって、恋人にとって……それらは他人軸だ。そんなのツライに決まってる。

やっぱり、最後は「自分がどう感じるのか」。これしかない

 

さいごに

すごくいい時間を過ごせました。会話に夢中でメモをとっていなかったのが唯一ザンネンだったかな。

何度も書いたけれど、人生についていくつかの話題で話していくと、最後には「自分がどう感じるのか、それが一番大事だ」という話になりました。

僕たちはどうしても他人を意見や顔色、世間体などを意識してしまうけれど、死ぬときにそれはどれほど大事なのか……。

自分がどう感じたのか、どう思ったのか、何ができたのか。そうしたことが、人生にたいする満足感につながると思いました。