3年後の私をつくろう

振り返ったとき、このブログが転機になったと言えるように。そう願っています。

【25歳になって】これまでの人生、これからの人生。

先日、25歳になりました。20代の中間地点です。

「今までの人生」を振り返り、「これからの人生」を思い描いてみました。

 

これまでの人生と、これからの人生。

20代の中間地点

*要約すると…*

10代:逃げるように、ひたすら走った

20代(学生):ほてった身体を冷ますように、何もしなかった

20代(就活):立ち止まっても得られるものは何もない。世間の荒波に放り出す。

10代

何も考えていなかった。というよりも、当時は考える余裕なんてないと感じていた。

 

勉強熱心の家庭だった。恵まれたことだとも思いつつも、それでも私はずっとイヤで仕方がなかった。親から注がれる、まるで槍のように尖った目線が、いつも背中を、心をチクチク突き刺すのを感じていた。それがたまらなくイヤだった。

 

勉強していれば特に何も言われなかったし、それで良いというふうに育てられた。たまに父親からは「やりたいことはないのか」と尋ねられたが、いつも何も答えられなかった。「これだ。これしかない!」といったものは何も思い浮かばなかったし、無理につくり出すのも変な話だ。きっと、大学を卒業する頃にはできるのだろうと軽く思い、さて勉強せねば、と思う毎日だった。

 

第1志望ではなかったものの、大学はそれでもMARCHに合格した。それまで親からはずっと「MARCHが最低レベル」と口うるさく言われていた。最低レベルが精一杯だったわけだが、学歴としては悪くないのだろう。それを機にやっと、あのまるで槍で突き刺すような目線からは開放された。

 

私の10代は、ほとんどはあの目線から逃げるため走り抜けた、長いトンネルといった印象だ。もちろん部活やテレビゲームに興じる瞬間もあったけれど、全体的にあまり良い思い出はない。

 

20代(大学生)

20歳になったのは、大学2年生のとき。成人式というイベントがあるように、20代になった頃の自分を、笑顔で語れる人は多いのかもしれない。私はというと嬉しさは全然なくて、むしろ絶望していたのを思い出す。

 

何も考えずにここまで来てしまっていた。かといって、親に何かを主張すれば頭から否定してくる気がしたし、自分の中でも「その熱意の強さ」「計画性の有無」などを考えてみると、何も言えなかった。親のせいにしても何にもならないこともわかっていて、「かつてないほどの絶望をじっくり味わうんだろうなぁ」なんて、成人式の最中に考えてた。ネガティブさは昔から今もご健在。

 

そうとわかっていたならば、ではなぜ大学時代、何もしなかったのか。

正確に言うと、もちろん何もしなかったわけではなかった。人生初のアルバイトもした。教師を目指して土曜日も大学に通ったが、じっくり考えた末辞めるという決断をした。自分で考えて自分で決断したから、後悔はしていない。

 

ただ振り返ってみてやはり思うのは、挑戦したという経験が何もないということ。無気力感が身体を包んでいて、大学生活は鬱々とした日々だった。その時の感覚は、まるで今までずっと走ってきて、やっとレースが終わったマラソンのあとみたいだった。いつまでもアスファルトのコンクリートの上で横たわっている気分だ。のどが渇いて、動いたほうが楽だとわかっていながら、起き上がれないというふうな感じだった。

 

20代(就活)

遅いことは言うまでもない。生き方について初めて考えたのが、大学生での就活の頃だった。

 

急にどうやって生きていけばいいのかわからなくなった。

そのときすでに無気力感がピークに達していて、自殺をよくイメージしていた。だからもちろん、就活はうまくいかなかった。自分には何もない。アピールできることが何一つ思い浮かばなかった。今でさえ、自分にないものはもちろんだが、持っているものでも、それを適度に盛ってアピールするのがとてもニガテだ。世渡り上手は人とは正反対の人間。

アピールする力もなく、アピールする材料すらない。ゲームオーバーは明らかだった。

 

就職浪人を考えた。

「売り手市場」だと言われていて、学生に有利な風が吹いていた。就職浪人というのは、良い会社に就職するために、わざと1年間余分に大学に在学するという選択だ。そうしている人も、実際に周りに何人かいた。

 

親と、大学のキャリアセンターの方と一緒に、何度も話し合った。しかし私は、1年延長したところで何も変わらないだろうと思った。何かが変わりそうな気配は微塵も感じなかった。また否定され続けるだけだとわかっていたし、もっと絶望するに決まっていた。

だから私は、まずは社会に出て働き、そこでひたすら「感じよう」と思った。世に自分を差し出してみないと、わからないことだってあるに違いないのだ。そう考えて、とりあえず社会人として自立しようと心に決めた。そんなときに内定が出たのが、今の勤め先だ。

 

20代最後の学生生活は、これまたあまり良い思い出はない。何もない自分を、とりあえず世間の荒波に放り出すことのみに費やされた。

 

とりあえずの3年が経過した

*要約すると…*

自分を社会の渦潮に放り投げた決断は、正しかった。

とりあえず3年、の3年が過ぎた。

すると今は、「後退」のイメージが強いことに気がついた。

社会に出たのは正解だった

学生生活最後の決断は、間違っていなかった。働いてみて、今年で3年目。学生でいたときよりも、ずいぶんと大きく成長できた。

 

この3年間のあいだにも、実にいろんなことを感じ、考えた。

たとえばお金。アルバイトでは得られない額を稼げるようになった。でも反対に、必要以上はいらなくて、それよりも時間のゆとり、心の自由を欲しがっていることに気がついた。お金の無駄使いはしないし、必要なかったぶんがそのまま貯金となって積もっていくだけ。お金にあまり執着がないんだと思う。でもこのあたりは、働くキャリアが積み重なっていくと、また変わっていくのかもしれない。

 

サラリーマンという働き方が自分に合うのかどうか。これは一番心配していた。だって、学生とは責任も苦労もケタ違いなのだから。

とはいえ結果は、うまく順応できた。

毎日同じ時間に起き、満員電車に乗る。嫌だなぁと思うことでも「やらなければならないからやる」という考え方だけで動けた。社会人になって間もないころは、「どんな仕事をしたって学べることは共通してある。だから興味も熱意もあまり感じない仕事であっても、ひたむきに努力した。

 

ところがしばらくすると、自分を押し殺し、周囲の期待に沿うことにはやはり、若干の無理があるようだとも知った。うまく行っていたのは最初だけで、その後はそう簡単にはいかなかった。仕事で抱えたストレスで身体が動かなくなった。医師から「適応障害」だと診断されてから、半年間会社を休んだ。

 

働いて初めてわかること

今は休職から復帰して、もう5ヶ月目になる(現在7月)

今までは建設現場の現場監督で、週6日勤務だった。それが今では、毎日残業なしのデスクワーク。平日の5日勤務だ。給料は新卒のときより減ったが、ほとんど気にしていない。

 

自分の意思とは全く関係ないレベルで体調が狂ってしまった半年前。今は、それ以前の健康な状態にかなり近づいてきた。だから、サラリーマンという働き方そのものにはそれほど大きな負荷はなくて、働く環境によるのだとわかった。

例えば、

  • 建物の外か中か
  • 動き回るのか座りっぱなしなのか
  • 多くの人と関わるのか、少人数で細々とした仕事をするのか


といった具合に。

このすべて、働いて初めてわかることだ。酸いも甘いも、すべて良い収穫だと感じている。

経験がすべて。あのとき、間違っても就職浪人やニートにならずに社会に出たことは、良い判断だったと思っている。

 

「とりあえず3年」の3年が過ぎた

だが、問題はこれから先。

若手と中年の間でよく取り上げられる話題が、この「3年」という数字だ。「石の上にも三年」というのだから、すぐに辞めてしまう若者は根性がないだのダメだのと、よく言われるアレである。

 

私はこの3年という数字には、何の意味もないと思っている。ただし、3年続ければたしかに、そこには何かが見え始め、自分の中でも何かが変わっているように感じる。あるいは、心にあった不確かな気持ちや考えがいよいよ固まり、どんなに鈍感な者でもそれに気がつく時間が3年である、とも思っている。

だから、3年より早く辞めようが、その後定年まで勤めていようが、そんなの関係ない。あるのは、自分自身に何度も問いかけたどうか、そのときに最も適切な判断ができたがどうかだ。「イヤだイヤだと言いながらズルズルと決められず、定年まで逃げ切りました」なんて人を、私はどうしても好きになれない。

 

そういう意味では、私はしっかり考えているし、それゆえにこのような悩みにぶつかっているのだと再確認できる。だからこそ、「このままでは後退していくだけだ」と思ってしまったことが、これを書くきっかけになった。

 

約50年間の後退というイメージ

復帰してからの仕事は、始めてから約年年が経つ。

もともと社会に出た理由というのも、世間の荒波に放り出すことを意識してのことだった。働きたくないという気持ちはなかったので、前方のどこへ前足を出すか、と考えていた。

 

今現在での結論としては、生活は安定している。ブラック企業ではないので、あまりに理不尽な扱いもされないし、お給料だってちゃんともらえている。

ところが、「じゃあそれで十分良いじゃないか」というと、そんな気は全然しないのだ。「今は良いからそれで良い」という、非常に危険な考え方な気がしてならないからだ。

 

先輩や上司の姿をみて、自分がそこにいることが想像できない。現段階で想像できないからといって決めてしまうのは早計なのかもしれない。しかしもう25歳、入社して3年目だ。少なくとも、お上の人たちが言う「3年」は過ぎようとしている。このタイミングで再び考え直すことは、そう悪くないはずだろう。

  • このまま働き続ける
  • 同じ業界で違う職種に移る
  • 異業種へ転職する


いろんな選択肢があるが、今の私にはどれも間違っている気がする。と同時に、瞬時にこんなことを思い浮かべてしまった。

...バネだ。まるで、片方は別の何かとくっついているバネを、もう片方を思いっきり引っ張ってきて、今の環境に無理やりくっつけようとしている。バネは痛むし、あるところまで伸びてしまったバネは、もう二度と元には戻らない。

不格好な大人そっくりだ。だらしなく伸びて垂れ下がったバネは、後悔したまま死んでいく大人の姿そのものではないか?...そんなイメージが浮かんでしまった。

 

今の仕事からガラリと変えることを望むと、まっさらな状態で再度戦わないといけない。もともと自分には何もないと思っているのだから、それも無理な話なわけで

このままでは人生そのものが後退していきそうに感じながらも、どうしたら良いのかわからない。

 

今後どうやって生きていくのか

*要約すると…*

ブログにこめた想いを再確認。

1年以上温めていた夢を、ここに書く。

別な世界に、もう一度自分を放り投げろ。

ブログのきっかけ

このブログを始めたきっかけは、自殺してもいいやと思ってしまう自分を根本から変えるためだった。その期間を2016年~2019年の3年間と定め、このブログのタイトルにした。

私のなりたい人物像とは、「生きていてよかったと本気で思える人」だ。自殺だなんて頭によぎることのない人。そんな人間になるには、今までと同じ考え・行動をしていただけではなれるまい。

 

1年以上温めていた夢を、ここに書く。

それは、「旅に出てみたい」という夢だ。

ここで挑戦しなければ一生後悔しそうだ。ただし、それより重要なことがある。この夢は、以下のどちらに該当するのか。

  • 誰かの影響を受け、一時的に気分が高揚しているだけなのか
  • 自分で感じ考え、本気でやろうとしていることなのか


これは慎重な私であっても、2番目が本心だと思っている。なぜなら、ノ1年以上も前から、すでにノートに何度も「旅に出たい」という夢を書きなぐっているからだ。

 

まだ貯金も少なかった。それこそ誰かの影響を受けただけだとも感じていた。今だって貯金はあるものの、ふらふらと豊かな旅に出れるほどではない。期間も、行き先も決まっていない。でも、「まだ一度も行ったことのない海外へ行こう」とだけは心に決めている。就活のときと同じように、今度はもっと別な世界に自分を置いてみたい。

 

別な世界に、もう一度自分を放り投げろ。

海外にはまだ一度も行ったことがない。だから、いきなり旅というのはさすがに無理があると思っている。そのあたりは、持ち前の慎重さで念には念を入れて考えたい。

旅を通して具体的に何を得たいのか。これについてもハッキリさせておかないといけない。中身のない、ただの自分探しの旅になっちゃった、なんてことになりかねない。

ただし、念には“年”を入れていることも忘れずにいたい。考えれば良い、というのであれば、それは今までの行動しない自分と同じだ。意味がない。

 

仕事は辞めなければならない。失うものも大きい。身の危険も伴うこともあるし、貯金も底をつくかもしれない。でも、それを理由に「やっぱやめとくか」って思ってしまえば、また同じ地点に戻ってくるだけだ。ウダウダ言ってもどうせ鬱っぽくなるだけ。さらに考え直して戻ってきたときには、体力的にも精神的にも無理である可能性が否定できない。だから今しかない。できなければ、それこそ伸び切ったバネのような大人になってしまう。

 

もう一度、今度はもっと別な世界に、自分を放り投げる。自分を、いつまでも暗闇に閉じ込めておけるだけの余裕はない。そう遠くはないだろうと思う。

 

あとがき

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(今日の夕日。写真が好きで、海外に行ったらたくさんの写真を撮りたいと思っています。)

大変な長文、読んでくださりありがとうございました。今回は、25歳になったことを機に自分と向き合い、思っていることを素直に書きました。

 

本当はいくつかに分けようかとも思いましたが25歳になったという出来事は人生で1度きり。ならば、それは1つの記事にまとめるべきであろう、と。そう考えました。 

 

「ブログがきっかけで旅に出ました。そのおかげで」なんて言っている私が将来に未来にいたのなら、これを書いた意味もあったと言えそうです。そのときこそ、「生きていてよかったと本気で思う人」に、大きく近づいたのではないかと思います。

 

今後の私を見守ってくださる見守ってくださる方は、以下よりどうぞ。

ではまた。