3年後の私をつくろう

2年目に突入。振り返ったとき、このブログが転機になったと言えるように。そう願っています。

【前編】「良い大学に行ければ、良い会社に行ける」という呪い

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書くのをためらったら何も書けないだろうがっ!!

 

そんなわけで、今日のお散歩中に思ったことを、ここで話したいと思う。

今回はあまり考えず、ひたすら書きなぐってみた。

そうしたらあまりに長くなったので、前編と後編にわけた。後編へのリンクは一番下にあるので、そのまま読み進めて言ってもらえたらと思う。

今週のお題ゴールデンウィーク2017」

 

【前編】良い大学に行ければ、良い会社に行ける...?

小学生~中学生

教育熱心な家庭に育った。

小学生の頃は、学校の宿題に加え、親からは算数の問題集を渡された。簡単な問題よりも、発展内容が多く含まれていた。数学ができないと社会に出て苦労する、なんて言われていた気がする。

 

「時間を決めてやりなさい」「...〇〇時からやる…」

 

このやりとりが本当に嫌だった。

勉強したくないというより、強制的に、無理やりやらさせている状態が嫌だった

 

小学5年生の頃から近所の塾に通い始め、中学校に入ると同時に、もっと評判の良い塾に移った。

新たな桜の門をくぐった入学早々、塾ではさっそく3科目(英数国)の授業が始まった。

中学2年生からは、ここに社会と理科の2科目が増えた。陸上部だった私は、部活と勉強に励んでいた。

 

初めての高校受験

中学3年生になると、いよいよ受験の年である。

5科目の授業はもちろん、県統一の模試も受けるようになった。学校や塾で使っていた教材を中心に、さらに勉強を頑張った。

志望校は、全国の公立高校でもナンバーワン、浦和高校である。埼玉県に住んでいたので、比較的通いやすいのも魅力だった。

 

部活は夏の大会を終え、勉強時間はさらに増えた。

学校から帰宅すると17時。塾のある日はすぐにご飯を食べて出発する。塾のない日は少し勉強してからお風呂に入り、夕飯を食べる。

塾のない日で20時までリビングにいると、いつも親から怒られた。

 

「いつまでここにいるの?」

低い声で、睨むような目つきで言われた記憶は、今でも鮮明に残っている。

 

私はその言葉を言われるのがとても嫌だった。

だから、そう言われないうちに、できるだけ早く2階にある勉強部屋に逃げるようにしていた。

20時から勉強し始め、夜の12時か、1時まで勉強していた気がする。親がちょこちょこ部屋を覗いてくるので、ストレスを感じながらも勉強していた。

 

それにもかかわらず、当初第一志望だった浦和高校には手が届きそうになかった。受験願書の提出時点で、急遽1ランク下げた春日部高校に出願した。

受験当日まで勉強は怠らなかったが、結果は不合格だった。

すべり止めの私立高校には合格でき、無事に高校生となった。

 

高校に入学、成績が乱れる

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高校には2つのクラスがあった。簡単に言うと「普通クラス」と「ちょっと頭の良いクラス」だ。

私は運が良かったのか、頭の良いクラスに入ってしまった

というのも、周りのレベルが高すぎたのだ。

 

入学し、1年間はなんとか踏ん張った。

親は教育熱心であるから、当然私の成績には敏感だ。成績は、主にクラス内の順位で示される。

最初の頃はまぁまぁ良くて、最高は上から7番目だったこともある。

それが、1年生最後の時期になると、「中の下」あたりまで落ちてしまった。

塾を辞めたせいではない。自分の勉強に対する努力が、他の人のそれより足りないのだと思った。

 

2年生になるとき、頭の良いクラスの人数は、その3分の1が普通クラスに落とされることになっている。

クラス替えのテスト結果は、クラスが変わった2年生になってからでないとわからない。

「頼むから普通クラスには落とさないでくれ

春休み中、ずっと願っていた。

 

苦痛の高校2年生

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2年生になった日。

自分がどのクラスなのか、掲示板に張り出されている。上のクラスから見ていくと、そこには確かに自分の名前が載っていた。なんとか上のクラスに残れたのである

「良かったね~残れて」と親は言っていたが、親はおろか私も、これが今までの人生の中で最も苦痛な1年の始まりだなんて、まるで思いもしなかった。

 

高校2年生の授業が始まった。

私が属しているのは、頭の良いクラスである。1年生のときと違うのは、人数が絞られているということ。

すわなち、以前と比べて格段に、授業と生徒のレベルが違うのだ

 

勉強している人は当然だが、勉強しているようには見えない人も、なぜかみんな成績が良い。対して私は、1年生のときから成績が徐々に悪くなっていった。明らかについていけないのである。

ちょうど今頃、ゴールデンウィークに入る頃には、早くも挫折を味わっていた。

 

勉強はちゃんとしている。ところが授業のスピードが早く、放課後に先生に質問をしても、それを理解する時間に余裕がない。

宿題はたくさん出るし、授業はどんどん進んでいく。

もちろん自分みたいに、よくわかっていない状態のままの生徒もいた。

ところが、そういう人に限ってテストの成績は良かったりする。いったいどんな脳を持っているのか。いまだに不思議である。

 

成績だけならまだしも、さらに追い打ちをかけたのは「人間関係」である。

勉強が思うようにいかなくなっただけでなく、いつの間にかクラス内で孤立してしまっていた。

 

「コミュ障は誰だっ!選手権」があったなら、満場一致でこの私が選ばれるレベルである。

1週間誰とも話さない日があっても、なんら不思議ではなかったのだ。

勉強がダメになり、人間関係もそれに引きずられるように、一緒になって奈落の底に落ちていった。

 

為す術がなかった。

例えるなら、「逆方向の新幹線に乗ってしまい、違う方向だと知りながらも為す術がなく、ただただ窓の外をビュンビュン過ぎていく景色を眺めるだけ」という状態だ。

私の高校2年生の時間は、望まない方向へ進んでいく自分を、じっくり味わい尽くすためだけに用意された、残念な1年間となった。

 

再スタートの高校3年生

3年生になる直前、私は親の言うことにも耳を貸さずに「普通クラスへ落ちたいです」と先生に申し出た。

もう親の意向などどうでも良かった。やっと、「クラス替え」という駅に止まったのだ。急いで「頭の良い」新幹線を降りなければなるまい。

 

そうして、大学受験を控えた高校3年生となり、初めて普通クラスへ移った。

それからというもの、授業スピードも落ち着き、多少は楽になった。

唯一残念だったのは、担任が1年生のときと同じ先生だったことと、2年生で学ぶはずの知識を補填するのに苦労したことくらいだ。

でもそれは最初の数ヶ月ほどで解消された。逆にその頑張る姿勢が、受験勉強を始めるためのスタートダッシュに導いてくれた。

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夏休みになると、いよいよ受験を意識し始める。

学校で夏期講習が用意され、予備校に通っていない生徒のほとんどがこれを受講した。

家に帰っても口うるさい親がいるだけなので、学校にそのまま残り、先生にアレコレ質問をする日々が続いた。

朝8;45分から夏期講習の授業が始まり、夜21時まで学校で勉強していた日もあった。

 

私は理系なのだが、化学がとても苦手だった。2年生で学んだ基礎も理解できていないため、偏差値は30台だった。

夏休みの1ヶ月ちょっとでガッチリ勉強し、これを偏差値60にまで引き上げた。

同じく偏差値30台だった英語だけはどうしても1人で勉強できず、マンツーマンの塾に通った。冬には脚を引っ張らない程度におさまった。

 

国立大学を第一志望としていた。

生物が好きで、特に身体の細胞に興味があった。それを学べる学科が地元の埼玉大学にあったので、そこに進学したかった。

国立なのでセンター試験が必須だ。受験する学科は、センターで7割切っていまうと不合格となる。続く2次試験を受験させてもらえないので、まずはセンター試験足切り7割をのラインを超えなければならなかった...

 

<後編へ続く>

【後編】「良い大学に行ければ、良い会社に行ける」という呪い - 3年後の私をつくろう

今週のお題ゴールデンウィーク2017」