3年後の私をつくろう

2年目に突入。振り返ったとき、このブログが転機になったと言えるように。そう願っています。

ありふれた日常の、ありふれていない幸せ

ありふれた、ただの散歩の話。

でもこうしたありふれた日常が、思ってみればとても幸せな時間だったりする。

意識しないと見えてこない

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(お散歩道。奥の親子は仲睦まじい雰囲気だった)

 

お散歩道を歩いていた。右手には川が流れていて、せせらぎの音が心地いい。

ちょうど今日は風も吹いていて、少し涼しい。

太陽は雲をほどよく被っていてくれているから、あまり暑くなくてありがたい。

 

歩いていたら、道端に、コガネムシがいた。すぐ近くにいた2羽のハトも、仲良く地面のごはんをついばんでいた。左手の草木の中からは、よくわからない虫が鳴いている。

ふいに、背中の方でブーンって鳴ったので、驚いて走った。振り返ると、黒くて、少し大きいのが視界に入った。よく見えなかったけれど、たぶんあれはクワガタムシだ。

昨日から7月。もう、夏になった。

 

 

夏になると、子どもたちは川遊びを楽しむ。川が身近になる季節だ。

 

ぼくはというと、川は年中好きだ。

季節も関係ないし、天気も関係ない。ただただ水が流れていくのを見ているのが、とても好き。石に当たったり、泡を含んだりするときの音を聞くのも、たまらなく好きだ。

大げさだけど、生きていくことと、川を近くに感じることは、切っても切れない関係だと感じている。ぼくにとって、川とはそれくらい大事な存在だ。

 

さて、こうした話は、なにも特別な話ではない。ありふれた、ただの散歩の話だ。

でもこうしたありふれた日常が、思ってみればとても幸せな時間だったりする。

 

 

散歩してて思った。おじいちゃんになっても、こんな日常が楽しめたなら、とても幸せだなぁ、と。

今、僕は24歳だ。7月になり、今月は誕生日なので、そろそろ25歳になろうとしている。

ところが、心はすでに70歳くらいのおじいちゃんだ。そう思った。

 

ずっと歩ける身体だったらいいな。歩けなくても、車椅子で外出できれば、それもまたいい。

でも世の中のおじいちゃんたちは、中には寝たきりであったり、施設での暮らしを余儀なくされている人たちもいる。

おじいちゃんだけではないね。若くても、そういった人たちはいる。

それを思うと、やはり、好きな川を眺めながらお散歩するできることは、大変幸せなことなのだ。そう思わずにはいられない。

 

こうして文字にすると、なんだか急にダサく見えたり、逆にカッコつけているように見えたりするのがチョッピリ残念だ。でも本当にこう感じたんだから、仕方がないよね。

 

 

目が見えること。耳が聞こえること。立って歩いて、外出できること

どれも当たり前のことなんだけれど、これが当たり前でなくなる瞬間が、いずれやってくる。

できればそれは、死と同時であってほしい。大きな病気もせず、おじいちゃんになっても、川の近くを散歩していたい。

 

ふわ〜っとした風が、部屋の窓から入ってきた。カーテンが揺れている。

 

外はまだ明るい。

日が沈む前に、もう一度散歩したい。